
うつ病で休職中、ベッドからほとんど動けなかった僕に、妻は勢いよくドアを開けて「離婚するから」とだけ言い残して去っていきました。その瞬間、「人生終わった」「生きている資格なんてない」と真っ黒になった頭の中、社内SEとして無理を続けてメンタルを壊した過程、妻が飲み会やパート仲間・大学生バイトの男性と遊びに出かけるようになり、家の中が「僕の居場所じゃない場所」に変わっていった感覚——夫として、人としての黒い本音を書いています。同じように「うつ病 離婚 夫」で検索してここにたどり着いたあなたが、少しでも安全に踏みとどまるためのチェックリストと、使える相談先のヒントも最後にまとめました。
この記事は誰に向けて書いているか
この話は主に、
- うつ病やメンタル不調で休職・退職中の 「夫側」 の人
に向けて書いています。
結果的に、夫の頭の中を知りたい妻側の人にも参考になるかもしれませんが、
視点はあくまで「夫本人」側です。
この先に出てくる内容について(注意書き)
この先の本文には、
- 強い自己否定
- 「消えたい」「終わらせたい」といった気持ち
など、読んでいてしんどくなる表現が含まれます。
今のあなたの心と体が「ヤバそうだな」と感じたら、ここでタブを閉じる・あとで読む・誰かと一緒に読むなど、
自分を守る選択をしてもらって大丈夫です。
INDEX
- 1. ベッドで横になっていた僕に、妻は「離婚するから」とだけ言った
- 2. 社内SE時代から少しずつ壊れていった僕と家の空気
- 3. 「人生終わった」と同時に襲ってきた、お金と子どもの現実
- 4. 妻が飲み会とパート仲間・大学生バイトと遊び始めた頃の黒い感情
- 5. 本音で言うと、僕は妻も自分も嫌いになっていた
- 6. それでも今、生きているからこそ書いておきたいこと【チェックリスト付き】
1. ベッドで横になっていた僕に、妻は「離婚するから」とだけ言った
この話はここ数年、うつ病で休職と復職・退職を繰り返していた頃のことです。
2025年の今、まだ全部解決したわけじゃないけど、とりあえずこうして文章を書けるくらいには生きています。
その日も、僕は一日ほとんどベッドの上でした。
うつ病の症状が強くて、身体は鉛みたいに重い。起き上がるだけで動悸がして、スマホを見る気力もない。
天井を見ながら「今日も何もできなかった」と自分を責め続けていました。
そんなとき、寝室のドアがガンッと音を立てて開きました。
妻が立ったまま、僕の方を見ずに一言。
「離婚するから」
それだけ言って、くるっと向きを変え、ドアを閉めて出ていきました。
頭の中で何かがプツンと切れました。
「ああ、終わったな」
「もう、生きてる意味ないよな」
冷静に「離婚か…どうしよう」と考える余裕なんてなくて、
いきなり真っ黒な方向に思考が暴走していきます。
「生きている資格なし」
「存在意義ゼロ」
そんな言葉が、テロップみたいにぐるぐる回る。
具体的に“ここで全部終わらせる想像”まで頭をよぎりました。
「今日このまま終わらせた方が楽なんじゃないか」と、本気で計算していました。
でも、身体は動かない。
起き上がる力もなくて、最悪の選択肢すら実行できない。
「死ぬことさえできないのか、俺は」と、そこまで自分を責めるくらい、追い詰められていました。
もし今、あなたが似たような状態でこれを読んでいるなら、
まず一つだけ伝えたいです。
今、その場で人生の結論を出す必要は、本当にない。
あの「離婚するから」は、当時の僕には“人生の終了宣言”に聞こえました。
でも今振り返ると、それは妻の「判決」じゃなく、限界が爆発した瞬間でもありました。
2. 社内SE時代から少しずつ壊れていった僕と家の空気
「突然離婚」と言われると、いきなり壊れたように見えますが、
実際はもっとジワジワです。今振り返ると、「あの頃からもう危なかったな」と思う時期がいくつもあります。
社内SE時代、「家」は寝に帰るだけの場所になっていった
社内SEって、「社内=楽そう」と思われがちですが、
夜間の障害対応やリリース対応、休日の呼び出しも普通にあります。
- メールや電話の通知にビクビクしながら寝る
- 休日でも頭のどこかがずっと「もし障害が起きたら」を警戒している
- 家にいても、仕事の画面が頭に浮かんで離れない
そんな日々が続いて、家はだんだん
「明日の仕事に耐えるために、身体だけ充電する場所」
みたいになっていきました。
当然、家族との会話は減ります。
食卓についても、心は職場のチャットやメールの方を向いている。
子どもたちの話もちゃんと聞けていなかったと思います。
うつ病になってから、空気はさらに重くなった
心が完全に折れて、うつ病と診断され、休職したあと。
家にいる時間は増えたのに、家の空気はむしろ重くなりました。
- 僕はベッドやソファで横になっている時間が増える
- 妻は家事とパートと子どもたちの予定で手一杯
- 会話は「今日の予定」と「お金の話」がほとんど
僕も本当は「話したい」「弱音を出したい」気持ちはありました。
でも、何から話せばいいか分からない。申し訳なさと情けなさで、喉のあたりで言葉が止まる。
結果として、いつの間にか、
「夫婦」じゃなくて、「同じ家に住んでいる別々の大人」
みたいな距離感になっていました。
3. 「人生終わった」と同時に襲ってきた、お金と子どもの現実
「離婚するから」と言われた直後、
感情的には「人生終わった」でいっぱいでしたが、
すぐ後ろから、もっと現実的な不安が追いかけてきました。
「これ、金どうすんの?」
「子どもたちはどうなる?」
うつ病・休職中の夫にとって、離婚はほぼ「詰み」に見えた
うつ病で休職中。収入は傷病手当金ベース。
その先の仕事の見通しはゼロに近い。
そんな状態で、
- 生活費
- 住宅ローン
- 子どもの学費
- 自分の治療費
全部どうするのかを考え始めると、
どこからどう足し算しても足りない。
「詰んでる」という言葉が、現実味を持ってのしかかってきました。
子どもの顔を思い出すたびに、自分を叩き潰したくなった
子どもたちの顔を思い出すたびに、
「この子たちの“普通の家庭”を壊したのは自分だ」
「父親として最悪の選択肢を引かせてしまった」
そんな自己否定が止まらなくなりました。
冷静に考えれば、
- 病気になったのは環境や働き方の問題もある
- 100%自分だけが悪いわけじゃない
と分かるはずですが、当時はそんなふうに考えられませんでした。
「全部、自分のせい」
「だから、消えた方が早い」
そこまで追い詰められていました。
※ お金や制度の具体的な話は、
「うつ病で仕事できないときのお金と生活費」
「うつ病で働けなくなったときのローン支払いどうする?」
など別記事にまとめています。ここでは、当時の「感情」に絞って書いています。
4. 妻が飲み会とパート仲間・大学生バイトと遊び始めた頃の黒い感情
妻の変化も、ゆっくり進んでいました。
最初は、パート先の飲み会が増えました。
「今日は飲み会だから遅くなるね」というLINEが、月1回から2回、3回…と増えていきました。
そのうち休日には、
- パート仲間と遊びに行く
- そこで知り合った大学生の男性バイトも一緒、というメンバーで出かける
ことも増えていきました。
玄関で靴を履く音、
「行ってきまーす」とドアが開く音、
バタン、と扉が閉まる音。
僕はベッドやソファに転がりながら、その音だけを聞いていました。
正直に言うと、きれいじゃない感情がたくさんあった
この部分は、きれいにまとめないで書きます。
- 「なんで俺がこんな状態のときに、楽しそうに出かけていくんだ」
- 「こっちは毎日、生きるか死ぬかでギリギリなのに」
- 「大学生の男の子と遊びに行くって、どういう感覚なんだよ」
嫉妬、怒り、寂しさ、諦め。
いろんな感情がごちゃ混ぜになっていました。
でも、その感情を口に出す元気はない。
話し合いをする気力もない。
結局、僕がやっていたのは、
「何も言わずに、心の中だけで妻を責め続ける」
という、一番しんどいパターンでした。
今から振り返ると、それは妻の「逃げ場」でもあったのかもしれない
これを書いている今の僕から見ると、
あの頃の妻の行動はただの「遊び歩き」ではなく、
「家の中がしんどすぎるから、外に居場所を作ろうとしていた」
とも見えます。
- うつ病の夫
- 将来のお金の不安
- 子どもたちの日常
それを抱えながら家にこもっていたら、妻の心だって持たない。
外で笑える時間がないと、家に戻るエネルギーが湧かなかったのかもしれません。
だからと言って、当時の僕の心が傷つかなかったわけじゃありません。
玄関の音を聞くたびに、
「ここはもう、自分の居場所じゃないんだろうな」
と感じていました。
僕から見えた事実と感情をここに書いていますが、
これはあくまで「そのときの僕の主観」です。
妻の本当の気持ちや事情は、僕にも全部は分かっていません。
5. 本音で言うと、僕は妻も自分も嫌いになっていた
もう一歩だけ踏み込むと、あの時期の僕は、
妻も、自分も、どっちも嫌いでした。
妻に向けた黒い気持ちと、それを打ち消そうとする自分
妻に対しては、
- 「なんで一番しんどいときにトドメを刺すようなことを言うんだ」
- 「支えてほしいとまでは言わないけど、せめて“離婚するから”は勘弁してくれよ」
と、心の中で文句を言っていました。
同時に、
- 「そりゃ、こんな役立たずの夫と一緒にいたくないよな」
- 「うつ病の夫と暮らして、生活費も不安で、限界になるのは当たり前だよな」
と、妻の立場を想像して“妻を庇う自分”もいました。
妻を責める自分
妻のしんどさを思って自分を責める自分
この二人が頭の中でずっと言い争っていて、どっちも勝たないまま消耗していきました。
自分への嫌悪感は、その何倍も強かった
妻へのモヤモヤよりキツかったのは、自分への嫌悪感です。
- 「メンタルを壊すまで働いたのは自分」
- 「助けてと言えなかったのも自分」
- 「妻をここまで追い詰めたのも結局自分」
そうやって全部自分のせいにして、
頭の中で自分をボコボコに殴り続けていました。
「こんな自分、誰が必要としてくれるんだ」
「本当に“いない方がマシ”なんじゃないか」
ここまで来ると、
自分を責めるというより、“処分したい対象”みたいに扱っていました。
今振り返ると、あの時期の僕の頭の中はかなり危険でした。
だからこそ、ここから先は「同じところまで行ってほしくない人」に向けた話を書いておきたいです。
6. それでも今、生きているからこそ書いておきたいこと【チェックリスト付き】
ここまで読んでくれたなら分かる通り、この話は
- きれいに乗り越えました
- 夫婦で話し合って全部解決しました
という美談ではありません。
うつ病で休職して、夫婦関係はボロボロになって、
妻から離婚を宣告されて、“ここで全部終わらせる想像”までして——
それでもなんとか、今もギリギリ生きている途中経過です。
同じように「もう無理だ」「消えたい」と思うくらいしんどい人に向けて、
最低限やってほしいことを3つだけまとめておきます。
死にたいくらいしんどいときの、最低限チェックリスト
1. 主治医・心療内科で、家庭のことも含めて話す
診察で「家庭の話をしていいのかな」と遠慮しがちですが、
メンタルと夫婦関係・お金はガッツリつながっています。
- 離婚の話が出ていること
- 死にたい気持ちが強いこと
- 何も手につかないこと
を、そのまま伝えてください。
薬や休み方だけじゃなく、「今危ないときの対応」や「相談先」の情報ももらえるはずです。
2. 親か信頼できる友人に、「実はね」と一言だけでも出す
全部を一気に話さなくていいので、
「実は妻から離婚って言われてて、正直だいぶしんどい」
この一行だけでもいいから、誰かに出してみてほしいです。
「情けない」と思うかもしれませんが、
一度外に出すだけで、「自分だけの問題」じゃなくなる感覚が少しだけ生まれます。
現実的な相談(生活費や住む場所)も、少しずつ一緒に考えてもらえるかもしれません。
3. 命に関わるレベルでつらいときは、公的な相談窓口を使う
本気で「今日終わらせたい」と思うレベルなら、 ★★★いざと言うときに備えておいても良いかな!★★★ ★★★頑張らずに頼っても良いんじゃないかな!★★★ ★★★自分へのご褒美にリフレッシュもありかな!★★★ ★★★気分転換に趣味もいいかもね!★★★ ★★★転職で環境を変えるのもいいかもね!★★★ ★★★お金に困ったら。。。★★★
正直、ネットで一人で検索し続けるより、誰

貯金のできない私には保険って助かりました。




宅配などで外に出る機会意を減らして負担芸減してもいいと思います。
カウンセラーなどに相談して、話を聞いてもらうことも、
おいしいものを食べてリフレッシュしても良いんじゃないかな!






心にゆとりが戻せるように自分にご褒美を上げてみてはどうだろう!



趣味を見つけて何かをやってみるものいいと思う。
今までの趣味に興味がなくなっていても何か体を動かしてみることも楽しみになるかもよ。



心のゆとりを持つには環境を変えることも一つ!
転職や手に仕事をつけて自信を復活させてみてはどうだろうか!





絶対に早まっちゃダメ、クレカ・キャッシングを計画的にうまく使って元気になったら一気に返済するのも手だと思うよ!
生活環境を変えて、出費を抑えるのも一つの手だね!

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